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アサン/マイナ
Asan/Maina
カトリック教会: ニーニョ・ペルディド教会(アサン)
アワー・レディ・オブ・ピュリフィケーション教会(マイナ)
フィエスタの時期: 12月の最終土曜日(アサン)
1月の最終土曜日(マイナ)
地区の概要
アサン・マイナ地区は、地区の中心地となっている海岸沿い村のアサン区域、ニミッツヒルとアガニアハイツに挟まれた谷にあるマイナ区域、ニミッツヒル(別名: リブゴン)の大部分とその向こうに広がる内陸部を含み、広大な面積を占めています。
地区の中心であるアサン区域は、グアム住宅・都市再開発局(GHURA)が1980年代に再開発を行いました。この再開発工事により、スペイン風の伝統的 な外観だった村の様子は一変し、近代化された郊外の街のようになっています。道路はまっすぐになり、歩道が設けられ、住宅の大半がコンクリート製で、その 多くが二階建てになりました。 現在も中心区域の住宅の多くをGHURAが所有しており、どの家も寸分たがわぬ造りで、塗装の色まで同じになっています。西側に海が、東側に丘陵が迫って いるため土地が限られており、多くの住宅が二階建てで庭も小さく抑えられています。
アサン区域の一部はニミッツヒルの丘陵に、一部は丘陵の下の海が目前に迫る平地にかかっています。そのため、住宅の多くは丘の斜面を上がっていく傾斜の激 しい道路沿いに建っていて、サンフランシスコのような雰囲気になっています。ニーニョ・ぺルディド・イ・サグラダ・ファミリア(聖家族)カトリック教会が 中心区域の真ん中を占めており、その隣にコミュニティセンターと市長執務室が建っています。
マイナは植物や竹林が生い茂り、色とりどりの花が咲き誇る谷に位置しており、これらの自然の恵みからすぐの場所に住宅と主要道路がつくられています。この 小さなコミュニティは曲がりくねった小さな主要道路に沿って広がっており、その片方の端はニミッツヒルに上っていく道路と合流し、アガニアハイツの裏側ま で続いています。道路の終着点にある小さなフォンテ橋は、島に伝わる有名な「ホワイトレディ」の伝説の舞台です。
地区の歴史
スペイン統治時代以前のアサン地区は、漁業を主な生業とする村でした。しかし、スペイン人の入植とともに農業に転向。海岸と丘陵の間に広がる肥沃な平野でタロイモ、コメ、サトウキビを生産するようになりました。
1892年になってアサンビーチは、ハンセン病患者の隔離施設の用地となりました。その施設は台風に破壊されるまで、8年間使用されました。続いて 1901年、同じ場所にフィリピン政府に反逆した者として国外追放された人々の収容所が建てられました。アメリカへのフィリピン領有権の譲渡に対する反対 運動を率いたリーダーのアポリナリオ・マビニも、ここに収容されました。現在、マビニはフィリピンの国家的英雄のひとりとされています。
1917年に米国がドイツに宣戦布告すると、米海軍当局が3年前からアプラ湾に停泊していたドイツの巡洋艦、コウモラン号の乗組員たちを捕虜として拘束し、アサン岬に収容しました。
1922年にアサン岬は米海軍の駐留地となり、軍需品補充所、射撃場、兵営が設けられました。けれども1931年になると、アサン岬は島内の大部分の地域と同じく、非武装化されています。
第二次世界大戦中には、アサンビーチが米軍による日本軍からのグアム奪還作戦で重要な役割を果たすことになります。1944年7月21日に、米国がアサン ビーチとアガットビーチから奪還作戦をスタートしました。午前5時半に島の砲撃を開始。日本軍は防御陣地をアサン岬とアデラップ岬の頂上と両端に置いてい たため、米軍は軍艦4隻、巡洋艦3隻、駆逐艦3隻をアサンの近くに配備しました。