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ピティ

Piti

カトリック教会:聖母の被昇天教会

フィエスタの時期:8月

 

地区の概要

ピティは幹線道路マリン・コア・ドライブから見える景色でグアム住民に親しまれています。南下しながらまず目に入るのは、海岸から海へ突きだしているピティ・アンダーウォーターオブザーバトリー(海中展望塔)でしょう。

海岸沿いには2つのビーチパーク。テプンガン・ビーチパークには新しいパビリオン、ペドロ・サントス・メモリアルパークには古い大型パビリオンと未使用のバスケットボールコートが設置されています。「ピティ・ボムホール」として知られるこのエリアは海洋保護区では現在、釣りは禁止。おかげで魚やその他の海洋生物の宝庫になり、ピティの海はダイビングやシュノーケリングの人気スポットになりました。

少し南下すると、山側に日用品店ニュー・J・マーケットとガソリンスタンド、その先のマリン・コア・ドライブと11号線の交差点にはピティ発電所があります。11号線は続いてカブラス島へ。この島は海へのびてアプラ湾を形づくり、ヘンリー・グラス米海軍大尉にちなんで名づけられたグラス・ブレイクウォーターへ続きます。島内にはカブラス発電所とグアム港湾局、そして商業港、さらに進むと、ゆっくり楽しめる穴場スポット、ファミリー・ビーチがあります。

ピティ本土はカブラス島の向かい、マリン・コア・ドライブの山側。2車線道路が小さな住宅街をくねくね走り、第二次大戦終結から10年の間に建てられた家々がぽつりぽつりと見られます。最大のトレードマークは聖母被昇天教会とマイク・S・タハル球場。地区長のオフィスは一戸建て風のこぢんまりした建物で、高齢者センターは現在では青少年センターとして使われています。

 

歴史

ピティの起源はスペイン統治時代前の小さな集落。古代チャモロ人の豊かな漁場でもありました。スペイン人到来後も小さな村のままでしたが、その後、近くのサンルイス・オブ・アプラ港(アプラ港)がスペイン政府の主要港になりました。

1700年代初め、ヨーロッパ列強が太平洋に進出したことで、スペインはグアムの防衛を強化。1720〜1730年には砲台を備えた小型駐屯地サンティアゴ砦が、アプラ湾を見おろすオロテ半島の頂上に建設されました。1734年には、アプラ湾に停泊地が新設され、嵐に対する安全性が高められ、ウマタック地区の要塞より高度な防衛態勢が整いました。停泊地を守るため、1737年には大砲6基を擁するサンルイス砦がオルテ(現ギャブギャブ・ビーチ付近)に完成。ギャブギャブ・ビーチの周辺エリアは現在、グアム米海軍基地があるスメイ地区の一部になっています。

1741年以降、風の穏やかな時期はほとんどの船舶がアプラ湾に係留され、積荷は小型ボートでピティ近くの埠頭へ輸送されるようになりました。物資はさらに2輪の牛車でハガニアの公営ストアへ。ピティの埠頭とハガニアをつなぐ石灰岩の砂利道は長年、グアム唯一の実質的な道路でした。

1830年代には、スペインの支援でピティに初めて稲作が導入され、第二次大戦後まで続けられました。

ピティとアプラ湾はグアム史の岐路に大きな足跡を残しています。米西戦争中の1898年6月21日と22日、スペインの政府と軍が降伏してヘンリー・グラス米海軍大佐にグアムを引き渡したのもピティでした。その時、アプラ湾には米巡洋艦チャールストンと米海兵隊派遣部隊が停泊していました。

アメリカ統治下でアプラ湾は米艦艇の港になり、1899年にはピティの旧スペイン王室領に海軍造船所が置かれました。